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2006年3月の気付きと工夫の記録です。

稽古日記  4:歩行器をひとりでハンドリング
25:車いすからの起立(タオルケット16折り)    
外部情報  9:「アレクサンダー・テクニックから学ぶ」
23:「アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読み解く」 、semi-supine-position



稽古日記

3月4日(土)
歩行器訓練の質を変えたいこと、すなわち、歩行器をひとりでハンドリングすることをI氏に提案した。コースはドアまでコースでなく窓までコース、歩行器が暴走しないよう両中輪の負荷を残して、補助を最小限にしてもらう。
8の字を1回で終わった。前進も方向転換も不安なく行える。I氏の補助もほとんど不要だった。歩行器が前方に暴走することはなかったが、これを回避しようとして歩行器を引き寄せすぎて、逆に身体が後傾している点を注意された。前傾気味で、と言われたが、腰を引かずにすなわち胴体を反らして(骨盤を起こして)と理解する。
左足を前に出せないという問題が大きい。右足に乗れない。右脚を伸ばすと上体が左に傾き左のアームレストで上体を支えようとしている。2月末の左アームレスト沈下事件もこれが原因と思われる。1月はじめの「右の腰が外側へスライドし体の軸も中心から外れてしまっている?」状況が改善されていない。ヒントは;
「中心面上を移動する」
・「内捻り」で歩けば脚の出方はスムーズになる。
・体重は拇指丘にかけるのが鉄則である。
・膝の側面が常に「中心面」に触れているように。
・「捻り」は重心を左右に逃がさないし、「脚の内捻り」を生む。

3月5日(日)
スクワットで深く沈み込んで立ち上がれなくなる限界を探っているが、上体が後傾していると上手く立ち上がれない気がする。膝軸周りのモーメントが大きくなることもあるが、後傾した上体=反った胴体=起きた骨盤では、その時点から更に骨盤を起こすことが不可能だからと考える。起立運動でも前傾が重要。もちろん、歩行器訓練の前傾気味とは意味が違うが。

3月6日(月)
電動車いすの上で右脚を突っ張ってみる。右足を置く位置によって結果は変わるだろうが、自然に伸ばすと上体はは左に傾く。「膝の側面が常に「中心面」に触れているように」右膝を内側に入れることを強く意識して右脚を伸ばすと頭はぶれない。結果的に「「捻り」は重心を左右に逃がさないし、「脚の内捻り」を生む」状態になっているのかもしれない。「内捻り」よりも「膝を内側に入れる」というイメージか。もうひとつ「真上から吊られた重心が」。実際に立ち稽古で試したい。

3月11日(土)
歩行器訓練は窓までを2往復。危なげはないが左足の振り出しは解決していない。考え続けていた右脚の内捻りも胴体の捻りも、上手く使いこなせない。1月はじめの右脚過内転でなく過外転と思われる。
右にも左にも偏らない、まっすぐ上向きに伸びるには;
「真上から吊られた重心が」「自分が天井から吊されているバネになったつもりで、腿に力を入れず、ふわりと軽く舞い上がるようなイメージで背中を意識して斜め前にジャンプする」か、右足の着地位置を左に寄せるか。

3月14日(火)
通院OTでは自立支援ポールをつかんでの起立訓練。T型アームを握ったときに手の甲にポールが来るようセットして頂く。ポールの位置(ベッド端からの離れ)を測ると36cm(face-to-face)。前々回62cm、前回58cm。今回は50cmを目指しているが60cmから始める。立ち始めると両膝が右を向いてしまい重心も右に偏る。立ち上がってからも右への偏りを感じる。ポールは右足の右前方にある。T型アームを握る手は肩幅の外にある。ポールの位置が不適切ではないかという疑問は当然起きる。起立の後、着座の際に右にずれることでポールとの位置関係を修正する。ポールは右足の正面にある。 T型アームを握る手は中心軸の少し右にある。起立が俄然楽になった。 56cmもクリアした。上半身の緊張がきついので上体をベッドに預けて仰向けでしばらく休む。すぐに再開、52cmもクリアした。もう一度休憩。すぐに再開、52cmはもはやクリアできない。記録52cmで終了。
前傾姿勢は意識できたが、身体感覚が鈍く骨盤をコントロールできなかった。立ち稽古の成果は出ている。この方向で進める。 もうひとつ、上肢の鍛錬も重要。右腕のみでのコントロールも視野に入れて。

3月18日(土)
今月も残り2週間。車いすからの起立というターゲットの何度目かの達成期限でもある。訪問PTでの歩行器訓練を車いすからの起立訓練に振り替えて頂いた。準備はしていた。ロホクッションも二つ用意してある。車いすの座面高さはロホなしで42cm、ロホ一つに私が座って45cm、ロホ二つに彼女が座って50cm。さらにソファークッションを重ねれば通院OTでの実績52cm以上を再現できる、と思っていた。
ハーネスを装着しリフターで吊りベッドの手すりを両手でつかみ立位をとる。ここまでは自主トレの立ち稽古と同様。手すりの鉛直部材が中心軸と合うようにサイドステップで右に移動する。ここで後ろに車いすを置いてもらう。手すりと座面前端の距離は通院OTの再現のために36cmを目指したが、通常の立ち稽古の立ち位置では膝裏が36cmを大きく超えている。ここでリフターをはずし、自立からゆっくり座った。前気味に着座することは覚悟していたが、結局42cmまで降下した。ロホの空気はすべて後方に逃げていた。早々にリフターで吊りベッドに戻してもらう。結論として、訓練にロホは使えない、実用でも前気味に着座した状態では42cmまで降下する。今後の訓練ではロホの変わりに折りたたんだタオルケットを使う。
午前中の起立訓練が大失敗だったので夕方立ち稽古を行った。スクワットの仕方として、これまでの尻を後ろに落とす方法を改めて、膝を前に出す方法を試した。

3月21日(火)
車いすの上で前屈を試した。両手を床に着くことができる。その状態からの起き上がりも可能だ。上肢を使わず骨盤を意識して起き上がるが、背筋の緊張が肩から腕まで伝わっている。起き上がり5回を2セット。10回目はさすがにきつい。レッグバッグの練習のつもりだったが、下腹部のシェイプアップにも良さそう。
立ち稽古に先立ちハーネスの肩ベルトを長くした。いつの間にか短くされていてこれが稽古を安直な方向にシフトしていた。スクワットの仕方も以前の尻を後ろに落とす方法に戻した。こちらの動きの方が実際の立ち上がりに近い。ただし、よりきつい。50回で終了した。

3月25日(土)
訪問PTで車いすからの起立に再挑戦した。ロホクッションは使わずタオルケットを16折りしたものを使った。一つの高さが8cm、それを二つ使った。42+8+8= 58cmからの立ち上がりには成功した。リフターははずし、右手を手すりに添えている。車いすからの自力での起立は初めてだ。一人稽古の可能性も見えた。上部のタオルケットの厚さを半分にした54cmは失敗した。徐々に下げるべきだった。

3月27日(月)
彼女に付き添ってもらって車いすからの起立を試した。リフターは通常の2点吊りで着けたままにしている。この条件では前傾がしづらいので彼女が傍らで上げ下げの調整をしてくれる。本来一人でも出来る作業だが慣れるまでは手伝って頂く。ハーネスとリフターの間にロープを介することで上体の動きを制約しない方法を思いついているが、1点吊りは危険との理由で彼女がためらっている。そもそもリフター自体が1点吊りなんだけど。
ロホクッションとソファークッションと16折りタオルケットをを使って62cmくらいだろうか。これからの起立は成功した。ここから始めてソファークッションと16折りタオルケットを1枚ずつ減らしていけば完成する。
車いすからの起立は一度しか成功しなかった。スクワットに移行する。たった今試みた起立をなぞるような立ち稽古を行える。いくつかの気付きがあった。
1)つま先が膝より前に出ては立てない。力の入れ始めすなわち脚の伸び始めには右足が前方に滑り出ていた。車いすからの起立ではフットレストを倒したままにするやり方も考えられる。足の前方への滑りを止められるし、ベッドへもより近づくことができる。フットレストと座面の間のスペースは十分だ。
2)逆に、膝がつま先より前に出ることを考えてみる。座面が高い場合、座位では足を尻の下まで移せないので膝が前に出ることはあり得ないが、立ち上がりの途中で膝軸周りのモーメントを小さくするために膝を前に出す方法が有効かもしれない。座面が低い場合、座位の段階で膝が前に出ている。立ち上がれば膝裏に座面が当たる。立ち上がる際にはブレーキを解除した方が良いのかもしれない。
3)起立の主力として骨盤の回転(曲げる/反る)を意識していたが仙骨の締めを忘れていた。足を後ろに蹴り出す感じを漠然と感じていたがこれを具体化するのが仙骨の締めではないか。また、骨盤の回転は1回だけだが、仙骨の締めは多段階に使えるのかもしれない。
4)手は手すりに胸を引き寄せるために使う。引き寄せるためには手すりをしっかりと握る。力みすぎると上腕三頭筋と肩胛骨が固まってしまう。胸を引き寄せる。コントロールしづらい左腕にも注意。
5)頭は手すりを越えること。胸を手すりに引き寄せることと同じく、膝軸周りのモーメントの軽減が目的。

3月30日(木)
先日気づいた4点を確認しながら立ち稽古をした。回数は50回。
1)つま先が膝より前に出ては立てない。
2)立ち上がりの途中で膝軸周りのモーメントを小さくするために膝を前に出す方法が有効かもしれない。
3)仙骨の締めは多段階に使えるのかもしれない。
4)手は手すりに胸を引き寄せるために使う。
5)頭は手すりを越えること。

崩れた体勢を立て直すことは容易でない。具体的には、上体を起こしたまま沈み込んで上体が後傾してから前傾には移行できない。手すりを握っていられないので体勢の維持もできない。また、立ち上がりの途中で膝を前に出す方法も試してみたが途中で止められず前に崩れ落ちた。目指すべきは、常に前傾姿勢でバランスを崩さないこと。立ち上がりも座り込みにおいても。着座は起立と同じルートを逆に通ること。
前傾姿勢をとり続けるためにはハーネスの自由度が重要。ハーネスとリフターの間にロープを介することで上体の動きを制約しない方法がやはり有効と思える。






 
外部情報

3月9日(木)
リハビリ連絡会のサイトの古い情報を眺めていたらアレクサンダー・テクニックに行き着いた。2CHの武道板で見たことがあった。「アレクサンダー・テクニークは心身の不必要な緊張に気づき,それをやめていくことを学習します。」

日本人間性心理学会第13回大会自主企画「アレクサンダー・テクニックから学ぶ」1994年
企画・研究: 葛西 俊治(北海道工業大学)
1.独習は可能なのか
a)からだの感覚が間違っている
ある姿勢や動き方を長い間続けるとそのように筋肉が整えられ、姿勢・動きのプログラムが無意識のうちに組み込まれる。その結果、我々の感覚も一定の偏りをもたされることになる。しかし、感覚自体の歪みを自ら気づくことは極めて困難である。実際、アレクサンダー教師による自叙伝的記述にも身体に関しての感覚の間違いを読むことができる[1][2]。また、この感覚の誤謬は視覚によることもあるし[3]、より本質的には身体内部に生じる感覚(D.ガーリックは「第六感覚」として紹介する[4])、正確には固有自己受容ないし体性感覚(proprioception)、そして運動感覚ないし筋覚(kinesthesia)という感覚を我々が大幅に失ってしまっている、という事実に依っている。
b)心身の感受性が欠けている
個人レッスンを受けに来た参加者の事前事後を観察するうちに、自らの姿勢や呼吸、移動時の動きなどに対する注意能力が一般に低いのではないかと思うようになった。心身の感受性があまり感じられない参加者の場合、一回のレッスンではほとんど効果が「見られない」(身体状態の変化が視覚的には確認できない)。それに対して、活元運動などによって感受性が高まっていると思われる者は、主観的にも客観的にもレッスンの影響(すっきりした身体へ移行するなど)がはっきりと現われるという点である。アレクサンダー教師の手による「調整」は、極めて軽く静かで微妙なので、その様を身体的に「実感」(思考レベルでの認識の場合もある)するのが難しい。そのため、感受性が低い場合、それを補償するために言葉や概念を用いて筋肉や姿勢を左右する傾向があるように思える。
c)効果は必ずしも目には見えない
レッスンの待合室に居る「アレクサンダー・テクニックの最高の生徒」を見ておくように言われた弟子達が「身体の曲がった猫背の老婦人しかいない」とアクレサンダーに言ったというエピソード[7]を読むと、アレクサンダー・テクニックを姿勢矯正の方法として捉えるのは間違いであろう。もちろん、レッスンによって結果的に姿勢が良くなることは確かだが、それ自体を追及することはいわゆる「目的への飛躍 end-gaining」として警戒すべきことでもある。
2.独習への手掛かりはあるのか
F.P.ジョーンズもまた、独習にふれて次ぎのような例を挙げている。すなわち「まず仰向けに寝て、そこから立ち上がるまでの努力を思い描いてみる。すると実際に立ち上がる前にすでに首に緊張が入ることに気づくだろう。そこで、立ち上がることを思いながら実際には立ち上がらないで、この首の緊張を抑えることができるかどうかやってみる。さらに、このように首が緊張しないように抑制しながら、立ち上がるかわりに右膝を立ててみる。なお、このとき、すでにある緊張を緩和するのではなくて、膝を立てるという思いによって生じる緊張の増加分を抑制するのである…[9]。
このような方法に基づけばアレクサンダー・テクニックの方向づけ(directions)「首は自由に、頭は前に上に、背中は伸びて広がる…」(Neck-free, head-forward and up, back-lengthening and widening)へ進んで行けるのだろうか。

3月23日(木)
アレクサンダー・テクニックの使い方 「リアリティ」を読み解く』"How to use the Alexander Technique , a way to think about your usuality"芳野 香:著
を読み終えた;

<目次>
まえがき
1、アレクサンダー・テクニックとは
 「からだ」を知り「からだ」から解放されてみえてくるもの
 「できる」ことを「する」ことを自分に「許可」する
 レッスンによる身体の外見的変化をどう読むか
2、「日常(ふつう)」というブラックボックス・・・「日常(ふつう)」を少し本気で考えてみることから
 隠蔽された見知らぬ「わたし」
 「あたりまえ」を暖かく疑え・・・「これが最初ではなく、多分最後でもない問題」に向かい合うための「姿勢」
 「からだ」という認識
 「ずれ」あるいは「フレキシビリティ」・・・「幅」をもって運営されている「日常(ふつう)」
 「ずれることができる」という「能力」
  「できてしまう」ということの「罠」
 「むりをする」ことでしか、がんばれないのか・・・「改善」「向上」をめぐる対立構造からの脱却のススメ
3、なぜ「くせ」にすることができるのか・・・「リアリティ」を読み解く
 「無意識」と過度の「合理化」
 「できること」が全て「身についていること」とはかぎらない
 「記憶」と「学習」・・・「何を覚えているか」と「何が身についているか」
 認識を反映する「からだの使い方」・・・リアリティとしての「からだ」
 感覚と知覚(何を感じているのか)
 「抵抗感」と記憶
 「痛み」と知覚・・・インパクトとセンセーション
 「こわい」という感覚
 「バランスの感覚」と「平衡感覚」と「姿勢」
4、「しなくてはいけないこと」ではなく「しなくてもよいこと」を知る
  「しようとする」のではなく「しなくてよい」ことを「しない」
 「注意の固定/分散」と「からだの使い方」
 「なに」をみて「なんだ」と判断するか・・・「インパクト」ではなく「状況」をみる
 「からだ」が「牢獄」になるとき
  「度合い」を学ぶこと、それを「思い出せる」こと・・・「使い方」を学ぶ意味
 「固定」と「安定」、この似て非なるもの・・・「違和感」を味方につける
 「アレクサンダー・テクニック」の使い方
5、技法に使われず、使いこなす・・・よりよく「からだ」とつきあうために
  「効果があった」という新たな「のろい」・・・どのような距離で技法とつきあうか
 「葛藤」に葛藤せず、葛藤だけをしてみる
 レッスンの進行とそれに伴う「葛藤」
 「わたし」という部外者・・・「私」が「わたし」について考えるとき
 「信頼」という名の「無関心」・・・あるいは「感謝」「憧れ」「同化」と「依存」
 「からだ」という「プライバシー」、「わたし」という名の「状況」
  「通過儀礼」としての「ばか」
 「へん」であることと「魅力」・・・「完全無欠」から「カスタマイズ」へ
 「日常(サバイバル)」・・・もう少しだけ、生き易い「日常」へ


私が最も避けたいことはレッスンという学習の場が知識やプライドの攻防戦の戦場に成り下がることである。

床やテーブルの上でsemi-supine-positionと呼ばれる立て膝で寝ころぶ姿勢で横になってもらうことが多い。人間の脚の骨格は脊柱の真下にはない。背骨に対してずいぶん前方・左右にある。そのため、仰向けに寝るとわずかだが、脚の重みで脚全体が股関節から後方に振られたようなswing-back格好になることがある。この脚の重みによってわずかだが、腰にそりが生じることがあり、それが仰向けの姿勢で胴体や背中が十分に体重を解放することを妨げる場合がある。この姿勢は別名constructive-restとも呼ばれるが、関節という重力を分散する構造の役割を生かした休憩姿勢としても活用できる。
脚のバランスが整いきらないうちは、立て膝の状況を保つことが難しいと感じるかもしれない。往々にして、このように関節部で角度を作るだけでよい動作をからだをちぢめる動作のように行動されていることがあるからである。だが、やがて必ずしもそうする必要がないことが、体感されてくるだろう。一見苦手とか自分にはできないと思い込みがちな動作や姿勢も、適切なからだの使い方によってずっと自由になるものがある。
自分のからだはひとつのもので、行う動作によって関節の位置や筋肉の長さが変わるわけでもない。しかし個々のリアリティのなかでは、寝ることと立つことというふうに、違う動作をすると違うからだで動いたような感覚が形成されてはいないだろうか。そのような身体イメージの隔絶によって、本来機能的には滑らかに行える動作もぎこちないものになっていることがある。この立てひざの格好は、空間的方向が変わればそのまま立ち座りの動作にも通じるところがあるので、より連続的に統合的にからだの機能を理解することにも役立つ。


「首を自由に、頭は前に上に」「胴体は長く広く」「膝を遠くに」「肩は広く」こうした混乱しやすいいいまわしについては、「何をしてほしいといっているのか」よりも「何をしてほしくないからこういう指示になるのか」という推理をする方が有効だ。これらの定着した言い回しは、人間が心理的、肉体的に恒常的に緊張した状態になったときに陥りやすいからだの使い方に対し、自覚を促すために使われていると考えた方が現実的だ。

習慣を改善する場合、改善のために大きく考え方や行動を変える必要はない。大切なのは、正確に状況を把握しうる感覚を養い、少しずつだけれども確実に、自分にとって適切なからだの使い方を身につけることだ。

ATでは、人間の動作や姿勢を静止したポーズで考えるのではなく、連続的な動作の中で考える。いわゆるポーズをとることや、ある姿勢をとるにしても、その格好になることを目的として身体の可動域を抑制することによってそのようにするのではなく、どこをどのように動かしているうちにそのようなかたちになるのか、つまりかたちづくることを目的として身体動作をとらえるのではなく、どのような動作がそのかたちになるのかを考える

ほんの数ミリの関節の位置や筋肉の位置の誤解を解くだけで、からだの重さが半分になった、痛くない、動きやすいなどの劇的な体験をすることもめずらしくない。しかし物理的な変化はミリ単位のものなので、知覚する身体の変化と外見に現れる身体の変化は必ずしも同じ度合いの変化ではない。

言葉に因るからだ:言葉が自分の身体機能を凌駕(無視)してからだに作用している場合も少なくない。例えば「胸を開いて」という体操などの指示語を、言葉に忠実に(「胸・を・開く」)行動に移したために首や肩を損傷してしまったクライアントもいる(これは、、できあがりとして胸が開いて見えるような動作をしろという意味で解釈した方が望ましいのだが)。他にも「腰を引き上げる」「お尻を締める」「腰から歩く」など、指示の目的が曖昧だったり、指示と言うより結果の提示、あるいはその言葉は形容詞と考えた方がよい表現はいくつもある

その人の認識状況はからだの使い方と相似形をなすことが多い。例えば空間的移動を伴う行動の際に、バランスをとることを考える。動作には、こうした移動の最中も姿勢を保ちうるような安定性と、移動が可能な程度のリリース(意図的に安定を解くこと)が絶妙のブレンドで同居していることが必要である。だからこのブレンド状況をバランスをとると称するのが正確であろうが、実際にはバランスを崩さないように、こけないように、運営されていることが少なくない。
バランスを崩すことに対するこわさ(こける、傷める)が高じると動かないように動くという矛盾した動作の仕方を知らないうちに行っていることも多い。つまり、こうした日常的な難易度の低い動作に対して恒常的にかつ無自覚に力が入りすぎている状態が続いている。動きにくいからさらに力を込めることが多いのだが、そうするとさらにバランスを崩す要因が大きくなり、果てしないパワーゲームになっている。

パターンやサイクルになっているものを改善しようとするときに、状況の改善を阻む最大のポイントは反動的なものの考え方である。正反対の発想を改善策とするのは禁物だ。背中が丸いから伸ばす、右だから左、緊張しているからリラックスなどと、反対のことをしようとするのは有効ではない。表面的な隠蔽工作にはなるが、根本的な状況の解決にならない。

人体の関節という構造が、身体の各部位をわけると同時につなげる構造体であるように。重力に逆らってからだを支えているだけではなく、自分では操作できない重力という外力をうまく利用しなければ関節は稼働しないように。力ずくで曲げることだけが関節を動かす、からだをやわらかくする、ことではないことを、ときには自己を伴った身をもって、知るべきであろう。



   

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