1月29日(木)
亀戸図書委員会で勉強させていただいた。
(亀戸図書委員会への賞賛は、例えば、知識を切り出す)
→ 稽古雑感から
→ 感想文から
SSCと初動負荷
筋紡錘の伸長は伸長反射を引き起こします。これとは別に、筋肉の過緊張が発生し腱紡錘が引き伸ばされると、筋肉を弛緩させるような反射(自己抑制)を引き起こします。
ジャンプ動作では、しゃがみ込む動作で伸長反射により筋肉が収縮してからも腱紡錘のほうが閾値がずっと高いため、両端の腱が伸ばされて弾性エネルギーとして力を蓄えます。そして、しゃがみ込みから跳び上がる瞬間、筋肉の収縮力に加えて、腱の弾性エネルギーが解放されることで全体として大きな力を得ることができます。
筋肉が力を出し始めてから最大の筋力を発揮するまでには、わずかですが時間がかかります。力が必要な瞬間から力を出し始めたのでは、最大筋力に達する前に動作が終わってしまうかもしれません。SSCでは反動動作の段階ですでに筋肉が収縮を始めていますから、主動作で最大筋力を出力することが可能になります。SSCは予備動作で筋肉を強制的に伸長させるところがミソです。では、強制伸長が大きければ大きいほどよいかというと、そうではありません。その引き伸ばす力に筋肉が耐えられなければ、SSCが成立しないからです。
SSC(Stretch
Shortening
Cycle、ストレッチ・ショートニング・サイクル)に関する説明かもしれない。垂直跳びで高く飛ぼうとするときに、いったん軽くしゃがむ。この「しゃがむ」動作の意味が解説されている。「反動を使う」とは具体的にはどういうことなのか。本書で知ることができる。「腱というバネを上手に使えるかどうかがスポーツパフォーマンスで大きな力・大きな速度を出すためのキーポイントに」なる。身体の動きについて考えるときには、骨と筋肉に加えて、腱についても考えることが重要となってきているようだ。
著者が初動負荷理論の定義として提示する内容は、“ポイント2”である。すなわち、『反射の起こるポジションへの身体変化及び、それに伴う重心位置変化等を利用し、主働筋の「弛緩−伸長−短縮」の一連動作を促進させると共に、その拮抗筋ならびに拮抗的に作用する筋の共縮を防ぎながら行う運動』
小山理論の“ポイント2”はまさにこのSSCを利用することだと思うのだが、明示的には説明されていない。
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伸張反射とSSC(080619)
稽古の心得(その2)
亀戸図書委員会で勉強させていただいた。
(亀戸図書委員会への賞賛は、例えば、知識を切り出す)
下手な稽古と駄目な稽古
(「できた」と思い込まない、「理」と「道」を知る) |
できないこと、それが駄目なことを意識して、静かに稽古を重ねるのである。これを「下手な稽古」と言う。下手な稽古には上達の道が拓けているが、自分の身体が動かぬことを認識せずに、悪しき日常動作のまま自分勝手に動くものにはそれがない。それは万年稽古と言い、いつまで経っても駄目なままで、術技は上がらない。動けない自分と向き合うことなしに下手な稽古はできません。型の動きを自分に都合のいいように変えていないでしょうか。「できる」、「できた」と思っているのはおそらく自分だけなのです。何回でも繰り返し繰り返し自分に疑問をぶつける、それがなければ動きは変わらないでしょう。変わらなければ術技の向上も生まれようがありません。
腕の長さが変われば、手の位置、高さ、動作のタイミング、すべてが変わらなければならない。そうでなければどこかに無理がくる。大切なのは外面でなく内面である。型(身)を学ぶ難しさがここにある。それを克服する方法は「理」と「道」を知ることである |
イメージを実感する
(「それ」をメタファーだと思っているうちは伝承はおぼつかない) |
この最も重要な働きをもつイメージは観念的なものではなく、からだの実感によるものであるから、前もって綿密につくり上げておいて、その後で動くということではなく、何回も動くことの中で、累次創造されてゆくより他はない、というところに難しさがある
歌、踊り、スポーツ、武術、建築、製造業、芸術など、特定の身体能力を獲得した人たちが自身の「技術」について語る言葉、「それ」は彼らの実感なのだ。そうした技術を受け継ごうとする者が「それ」をメタファーだと思っているうちは伝承はおぼつかない。「それ」を自身の内についに実感した者が伝承者なのである。「型を取るということは、その型をなしているイメージを受け取る、あるいは自分の中で発見する、そのイメージをかもしだすからだを、自らのうちに発見することだということである」 |
変化を起こす
(「ゆっくり」足の裏の感覚が生かせるスピード、レシピ(練習方法)を変えるやり方と素材(自分のからだ)を変えるやり方) |
癖や習慣を変えることほど、困難な作業はないように見受けられる。(中略)人間は誰もが、行動でも思考でも個人的な習慣を持っている。これらの習慣は、実は必ず「役割」を果たしている。しかし、その役割と同じことを、もっと容易に果たしてくれる新しい習慣が見つかると、それが変化のきっかけになる。(中略)逆に、代替の習慣がないと旧い習慣を取り除くのは極度に困難な作業になる(中略)。
今までの日常生活や練習の中で身につけた動き(テコの連鎖)を変えるには、ゆっくりと動くことが必要です。動作が速いと既存のパターンが自動的に起動されます。ゆっくりと精確な動作を繰り返すことは、太極拳に限らず大切な練習だと思います。では、「ゆっくり」とはどの程度のスピードなのでしょうか。足の裏の感覚が生かせるスピード、これが目安にできるのではないでしょうか。
変化を起こすために、何ができるでしょうか。料理にたとえて言うならば、レシピ(練習方法)を変えるやり方と素材(自分のからだ)を変えるやり方とに分類できます。
[レシピを変える方法の例]・同じジャンルの別の種目を練習する・別のジャンルの種目を練習する・歩幅を変える、腰の高さを変える、動く速さを変える など
[素材を変える方法の例]・使用する道具を替える・ストレッチ・ヨーガ・野口体操・武術基本功 など |
目的に応じたトレーニング
(下位レベルの行為の練習、下位レベルの行為を統合する練習) |
スポーツでも武術でも、下位レベルの行為の練習、下位レベルの行為を統合する練習があります。自分が今練習しているのはどちらなのか、意識しておくほうがいいでしょう。 筋力トレーニングでは、スピードアップを目指すのか、もっと強い力を出したいのか、パワー(=力×速度)の向上を図りたいのか、目的に応じたトレーニングを行うことで成果が得られる。
「毎朝ネクタイを結ぶ人ならご承知のことと思うが、いつも鏡なしにネクタイを結んでいる場合、鏡を見ながらネクタイを結ぼうとすると非常に煩わしく感じる。なぜなら、練習を積んだ動作は筋−関節感覚により調整されているのだが、そこに強くしかもつじつまの合わない視覚制御が干渉すると、練習を積んだスキルを崩壊させてしまうからである」 |
身体操作の心得(その2)
亀戸図書委員会で勉強させていただいた。
(亀戸図書委員会への賞賛は、例えば、知識を切り出す)
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首の筋肉を解放
(脊柱の動きのほとんどは頚椎と腰椎で起こります) |
首の緊張は、骨格全体における骨と骨の関係を歪め、骨格全体の能力がそこなわれ、体重をうまく配分することができなくなります。首の緊張は、随意運動をサポートする不随意筋に干渉します。
肩や腕や脚部の緊張だけでなく、首から上の部分の緊張にも意識を向けてみましょう。
「脊柱の動きのほとんどは頚椎と腰椎で起こります。もちろん胸椎でも動きは生じますが、頚椎や腰椎に比べれば小さなものにすぎません。」 |
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胴体は力を出していく中心
(胴体は重い胴体は強い、末端部に力を入れるとそれより中枢に近い関節は柔らかく滑らかな動きがしにくくなる) |
胴体は重い。胴体は強い。
肩、胸、腹、腰を分離すること。個別に意識できるようにすること。運動において、分離した肩、胸、腹、腰を協調させること。
「一般に、手や足の末端部に力を入れると、それより中枢に近い、肘や腰の関節は柔らかく滑らかな動きがしにくくなる」
重心から波及する力である「中心力」と伸筋による「伸長運動」の力の流れは、どちらも身体の中心から末端に向かって伸びるように連動しながら伝わる。一方、屈筋による「屈曲運動」の力の流れは、身体の末端から中心に向かって縮むように伝わる。 |
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ある一瞬に働くべき筋肉
(力を集中するということは身体各部の力を同時に出すことではなくてその動きに最適の順序にしたがって出してゆくこと) |
「次の瞬間、新しく仕事をすることのできる筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである」
「力を集中するということは、身体各部の力を同時に出すことではなくて、その動きに最適の順序にしたがって出してゆくことである」
「ある一瞬に働くべき筋肉の数が少なすぎることによる誤りはきわめて稀で、誤りの多くは、ある一瞬に働いてしまう筋肉の数が多過ぎることによって起こる」 |
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感覚器としての筋肉
(リラックス、手や足や胴体をどう動かすかよりも手や足や胴体がどうなっているかを知る、筋肉を自由に緊張から解緊させる能力) |
筋肉のストレッチには、2つの役割があります。1つは、筋肉の柔軟性を高めることで、もう1つは、筋肉と脳との神経の連絡を良くすることです。
筋肉の働きにとって、大事なことは、量的な力を増すことではないんです。微調整する感覚なんです。質的な違いの分かる感覚が働く筋肉なんです。筋肉は感覚器として、充分働いたときに、初めていい運動器になるんです
姿勢や運動の感覚は、筋肉や腱からの情報(刺激)に多くを負っています。リラックスすることは、体を疲れさせないようにするだけでなく、感覚を鈍らせないためにも重要です。
太極拳でいう、立身中正(体を傾けない)や沈肩垂肘(肩や腕の不要な力を抜く)、上下相随(肘と膝の位置を揃える)などといった秘訣は、余計な刺激を減らしていくための具体的な提言とは考えられないでしょうか。
「ストロークの1インチずつの動きを感じ取り、筋肉の動きを(内側から)感じ取る」のだそうです。手や足や胴体をどう動かすかよりも、手や足や胴体がどうなっているかを知ることが大切なのではないでしょうか。
調整力を発達させ,運動を自由に行なう能力を向上させるには,筋肉の緊張を操作し,運動中の必要な瞬間に筋をリラックスさせ,運動に必要のない筋肉を参加させずに必要な筋肉だけを結集して,しかも運動終了と同時にこの筋肉をリラックスさせる能力,すなわち,随意に運動に参加する筋肉を自由に緊張から解緊させる能力を発達させることが大切である。
心は思考、感情などさまざまな「思い」をつくりだす。心の緊張を心で解くことは難しい。「身体感覚」が鋭敏になると「思い」が薄まり、「思い」が強まると逆に「身体感覚」が鈍化してしまうという関係がある。「身体感覚」に意識が集中すれば、その間は心の囚われが自分の意識から外れてしまう。「重力感覚」が身体に定着すればするほど「身体感覚」に意識を集中しやすくなり、それに伴って心の緊張も着実に薄まってゆく。 |
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からだの重さを動きのエネルギーに変換
(反作用、「力=筋力」から「力=重力」への発想の転換) |
「バンザイをすると速くしゃがめる」これは両手を上に挙げる動作の反作用によります。
ボールをできるだけ遠くに飛ばすには、体のどこかにボールの飛ぶ方向とは逆向きの動きが必ずあるということです。つまり、その動きがないと体全体のバランスが悪く、力も入らない。
筋肉は、主として骨格の配列の形を変化させ、その変化のさせ方によって、エネルギーの伝わり方・流れ方の性質を決定する。筋肉は、からだの重さを動きのエネルギーに変換して利用できるものにする役割をになうものである。主エネルギーはからだの重さであり、この重さが地球との作用・反作用の関係によって、動きのエネルギーを生みだすのである。
手で相手を押すような動作で言えば、手のひらの上の方で押すよりも、掌根(しょうこん=手のひら下部の肉厚の部分)で押した方が、手首の力を使わないですみます。一般に、スポーツや武術では、手首や足首といった力の弱い関節を力の「制約条件」としないで、力の「伝達要素」にするような工夫をしているはずです。第3種てこは、作用点で大きな力を生み出すことには不向きで、作用点で大きな動きを生み出すことに向いている。
自然の法則と調和した力を体得するためには、「力=筋力」から「力=重力」への発想の転換が必要である。重力によって生じる身体の「重み」(圧力)を力とする。
「筋収縮」が大きいと重力への抵抗が増し、「重み」は減少する。一方、「筋収縮」が小さいと重力と調和し、「重み」が増す。
「骨盤の前傾ポジションと三関節ラインが直線的に揃うと、地面を押す力が強くなります。骨盤と三関節ラインでこの地面を押すという作業は、「捻る」という作業よりもはるかに大切で、大きな大きな力を楽に発揮してくれるのです」 |
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バランスを保つ
(姿勢補償(postual
compensation)、揺れることができる状態でなければ平衡状態は生まれない、重力を実感し(Feel the
Gravity)体重を支え(Hold the Body Weight)バランスを保つ(Keep the Body Balance)
)
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「ほんの少しの小さな力によってバランスが崩れてしまう状態は、極めて頼りないように思われる。しかし、この状態はほんの少しの小さな力によってバランスを保つことができる状態でもある。これが生きものの安定状態である」
「事実としての平衡状態というのは、決してじっと止まって動かない、ということではありません。(中略)それは、微妙な揺れの状態にあります。言葉を換えれば、揺れることができる状態でなければ、平衡状態は生まれないんです。
活動しているのは、腕の活動によって起こる姿勢の不安定性を補償する部位である。この予期的な筋活動を、行っている者が気づくことはまずない。
姿勢の変化と姿勢の持続が同時にあるもの、それが運動なのである。
身体の特定の部位を動かないようにすることは、それ以外のすべての部位を動員することになるのです。「能動筋力とは、自分のほうから力の強さを意識的に決めて使う場合で、通常は力のイメージをもちながら発揮される筋力である。これに対し受動筋力とは、外部からの力に応じて力が自然に現れてくる場合で、通常は形のイメージをもちながら発揮される筋力である」
おそらく「力を抜け」と言う場合、その「力」は能動筋力を指しています。逆に「力が足りない」と言う場合、その「力」は受動筋力を指しています。
「動きはバランスが崩れないと始まらない。しかし、バランスが取れなければ、動きは成り立たない」
「各種の歩法は運動中には軽くて速いばかりではなく、膠(引用者注:にかわ=接着剤)が地上に着くように安定し、足を動かさず、かかとを上げないという要求がある。上肢と胴体の動きに影響されず、かえって上肢と胴体の動きに必要な安定条件を提供する」「スタビライゼーションは、重力を実感し(Feel
the Gravity)、体重を支え(Hold the Body Weight)、バランスを保つ(Keep the Body
Balance)という三つの明確なコンセプトをもつ手軽なエクササイズと考えて下さい」
「伝統的運動研究は「姿勢」を「自動化した、重力に抗する伸張反射の総和」と定義してきた。しかし姿勢は重力という唯一の力への応答ではない。
目や耳(外受容感覚)だけでなく、筋肉や腱(自己受容感覚)などからの情報によって、「動作を連続的に調整する」プロセスこそが運動なのである。
「ヒトの身体運動は、骨−関節がもつ構造上の不安定、柔らかい筋の性質に由来する不安定、二つ以上の筋の拮抗する群の使用に由来する不安定、これらのすべてを基礎にしている。それらの不安定を掛け合わせた「高次の不安定」がヒトの身体である」ヒトの歩行運動とは、「重力がもたらしている転倒から派生した動き」であり、そこには静止の相がない。 |
稽古雑感から
亀戸図書委員会で勉強させていただいた。
(亀戸図書委員会への賞賛は、例えば、知識を切り出す)
*** 1-10
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左右両側の筋肉を同時に使ったときの最大出力が、片側だけ使ったときの最大出力よりも低下する。
太極拳の場合、姿勢を前傾(あるいは後傾)させないとか、膝とつま先の向きを一致させるとか、肩や肘を上げないとか、下を向かない、などなどの客観的な要求がありますが、これらをそのまま主観的イメージに投影して(意識して)動いてもなかなか要求通りにはなりません。そこで、さまざまな主観的イメージが工夫されてきたように思うのです。さがるときは背中からさがるとか、丹田を意識するとか、水の中を歩くようにとか、ボールを水に沈めるようになどの教えです。
(1)
運動に関する記述(教え)が「客観的要求」なのか「主観的イメージ」なのかを区別すること。
(2)
「客観的要求」と「主観的イメージ」の間にある「ずれ」を理解すること。
(3)
ある「客観的要求」がそのままのイメージでは実現が困難な場合、その「客観的要求」に応える「主観的イメージ」を工夫すること。
「首の筋肉が解放されていれば、頭の中心は脊椎の上で美しくバランスをとります」
「首の筋肉が硬いと、からだ全体が硬くなります。それはとても悪いことです。自由なのがよいのです」
「胴体というものは多くの運動にとって力を出していく中心として決定的役割をもつ。たいていのスポーツ運動の成功は胴体操作が正しく行なわれているかどうかにかかっている」
1.胴体は重い。
2.胴体は強い。
私たちは「胴体」の右と左を、どのように意識しているでしょうか。それとも意識していないでしょうか。胸や腰がひとつの塊になっていませんか。背中が一枚の板になっていませんか。右脳と左脳が別々に制御しているはずの部分がひとつの塊になっていて、よい動きができるでしょうか。
「言葉で表して確認することは、人間特有な運動発達にとって、また意識化することや、意のままに形成することにとってたしかに重要なことであり、決定的なことではあるが、運動経過の記述そのものはまだ不完全なままである。それは運動経過を記述するということが近似的にでも客観的運動経過を適切に反映させることはできるものではないからである。(中略)運動経過というものをきわめておおざっぱにとらえてしまたっり、あるいはばらばらに小間切れにしてしまうものである」
1.肩、胸、腹、腰を分離すること。個別に意識できるようにすること。
2.運動において、分離した肩、胸、腹、腰を協調させること。
筋肉のストレッチには、2つの役割があります。1つは、筋肉の柔軟性を高めることで、もう1つは、筋肉と脳との神経の連絡を良くすることです。
ストレッチを単なる準備運動と考えずにコンスタントに繰り返すことで、必ず益するところがあるはずです。少なくとも健康に益することは間違いないのですから、毎日続けるという意識を持ちましょう。
「そもそも型とは、古人が残し伝えようとした武術的身体、すなわち実戦の場で自己の身体、生命を保持し、相手を制圧することのできる術技的身体を創り上げるための方便、階梯であり、あったはずである。このことは、型そのものは実戦の雛型ではないということを意味する」
黒田鉄山は祖父から伝えられた型を、そこに込められている動きを体得するにつれて、身体が変化してゆくことを語ります。つまり、型を再現するためには、身体の変化が必要だったのです。
1.型に込められた動きを理解する。
2.型を忠実に再現できる身体をつくる。
「癖や習慣を変えることほど、困難な作業はないように見受けられる。(中略)人間は誰もが、行動でも思考でも個人的な習慣を持っている。これらの習慣は、実は必ず「役割」を果たしている。しかし、その役割と同じことを、もっと容易に果たしてくれる新しい習慣が見つかると、それが変化のきっかけになる。(中略)逆に、代替の習慣がないと旧い習慣を取り除くのは極度に困難な作業になる(中略)。こうした努力は、人間の限界を超える。だから、ほとんどのプレーヤーは新しい努力を途中で放棄し、安全な旧い習慣に舞い戻る」
「バンザイをすると速くしゃがめる」とあります。試してみてください。なるほどと思いませんか。これは両手を上に挙げる動作の反作用によります。
「以上のことから共通していえるのは、ボールをできるだけ遠くに飛ばすには、体のどこかにボールの飛ぶ方向とは逆向きの動きが必ずあるということです。つまり、その動きがないと体全体のバランスが悪く、力も入らない。そしてこの種の動きは、スポーツの動作のなかで最も本質的なものなのです。」
下手な稽古と駄目な稽古「できないこと、それが駄目なことを意識して、静かに稽古を重ねるのである。これを「下手な稽古」と言う。下手な稽古には上達の道が拓けているが、自分の身体が動かぬことを認識せずに、悪しき日常動作のまま自分勝手に動くものにはそれがない。それは万年稽古と言い、いつまで経っても駄目なままで、術技は上がらない。いくら太刀や竹刀の操作が敏速、俊敏になっても、それは運動競技的価値判断に基づくものであって、ただそれだけでは武術的には無であることに変わりはないのだ。」
動けない自分と向き合うことなしに下手な稽古はできません。型の動きを自分に都合のいいように変えていないでしょうか。「できる」、「できた」と思っているのはおそらく自分だけなのです。何回でも繰り返し繰り返し自分に疑問をぶつける、それがなければ動きは変わらないでしょう。変わらなければ術技の向上も生まれようがありません。
「意念、意思によって身体の動かぬ所を働かせようとすれば、同じ人間でも、その稽古内容の次元が大きく変わる。「下手」と「駄目」との差は、自覚的にも他覚的にも比べようのないほど大きなものである。正しい方向づけを意識するからこそ、極めて静かな稽古というものが重要な意味をもってくるのである。」
「しかし、「極意」を伝えようとする武術の門派に身を置く身ならば、身に染みついた「常識」は稽古の妨げとなりかねないでしょう。振武舘の稽古を進める上で規矩となるのは、宗家より伝授される型(同じ型でも教えを受ける側の段階に応じてその内容が刻々変化します)と、稽古の中で培った自身の身体感覚のみなのです。そして日々の稽古の中で進められるのは自己の日常的な心身の否定なのです。このような自己否定の作業の中では、従前の自己の意識および身体から、戸惑い、疑問、反発が、絶え間なく生起して来るでありましょう。しかし、これに打ち克って、意識を統御し身体を運用する努力を綿々と続けなければ、流儀の深奥になど近づくことすらできません」
「腕に含まれるものは、鎖骨、肩胛骨、上腕の骨、下腕の2本の骨、手首、手であることに気づきましょう」腕の根っこは肩ではなく、胸にあります。肩胛骨は上下左右にスライドし、肩が大きく動かせるようにできています。
「胴体の層には美しい対称があります。前から後ろへ、そして後ろから前へ:皮膚−運動の筋肉−姿勢の筋肉−脊椎−姿勢の筋肉−運動の筋肉−皮膚。肝臓や心臓や子宮がそれらの間に押し込められています。」運動のための筋肉を姿勢を維持するために使ってはいないでしょうか。
体のいろいろな部分について、正確な地図を用意しましょう。知識として。そして、感覚として。
「(1)首の緊張は、骨格全体における骨と骨の関係を歪め、骨格全体の能力がそこなわれ、体重をうまく配分することができなくなります。
(2)首の緊張は、随意運動をサポートする不随意筋に干渉します。
(中略)随意的な活動は私たちが直接に経験しているものです。水の入ったグラスに腕をのばすとき、自分が腕を動かしているのを私は知っているし、明らかに動いている感覚を動きとして感じることができます。しかし、私が間接的にしか感じることができないのは、グラスに腕を伸ばすあいだ自分を直立させている不随意筋肉の活動です。ちょうど心臓の鼓動や横隔膜の浮き沈みを間接的にしか感じられないのと同じです。」
「ほんの少しの小さな力によってバランスが崩れてしまう状態は、極めて頼りないように思われる。しかし、この状態はほんの少しの小さな力によってバランスを保つことができる状態でもある。これが生きものの安定状態である」
「事実としての平衡状態というのは、決してじっと止まって動かない、ということではありません。(中略)それは、微妙な揺れの状態にあります。言葉を換えれば、揺れることができる状態でなければ、平衡状態は生まれないんです。その揺れが可能になるのは、空間に空きがあること。『無い』ということがあること。つまり、ゆとりがあることなんです」
「筋肉の働きにとって、大事なことは、量的な力を増すことではないんです。微調整する感覚なんです。質的な違いの分かる感覚が働く筋肉なんです。筋肉は感覚器として、充分働いたときに、初めていい運動器になるんです」
「刺激はできるだけ小さい方がいいんです。その中で違いが分かる感覚を練る方がいい。そうすれば、当然のことに大きい差に対しても違いが分かるようになります。余分に大きい力を使わなくても、いい動きが可能だということを実感するようになります」
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11-20
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自分の動きを追求していくと、最後は自分の感覚だけが頼りです。そして、人間の感覚には「ウェーバー=フェヒナーの法則」が働いています。力が強くなればなるほど、感覚は鈍くなります。自分が感じていることの違いを識別するには、刺激は小さいほどいいのです。
姿勢や運動の感覚は、筋肉や腱からの情報(刺激)に多くを負っています。リラックスすることは、体を疲れさせないようにするだけでなく、感覚を鈍らせないためにも重要です。
太極拳でいう、立身中正(体を傾けない)や沈肩垂肘(肩や腕の不要な力を抜く)、上下相随(肘と膝の位置を揃える)などといった秘訣は、余計な刺激を減らしていくための具体的な提言とは考えられないでしょうか。
「細かい力の変化をつかむためには、力そのものがまず小さくなくてはならない。動きのコントロールを改善して、より繊細なものにすることは、感受性を強め、差異を感じとる能力を高めることによってしか実現できない」
「自分の筋肉の感覚を増す」ために、「スロー・モーションで、異なる種類のストロークを体験」し、「体の各部分がどのように感じられるかに意識を集中」しようと提案しています。「ストロークの1インチずつの動きを感じ取り、筋肉の動きを(内側から)感じ取る」のだそうです。手や足や胴体をどう動かすかよりも、手や足や胴体がどうなっているかを知ることが大切なのではないでしょうか。
「集中力の途切れを引き起こす最大の要因は、この先どうなるかという心配や、過去を振り返っての後悔だ。俗に言う「たら、れば」に対し、人間の心はきわめて防御が甘い。「ここで負けたら、どうなるだろう」と、考え始めると、心配の連鎖反応が起きる」
「次の瞬間、新しく仕事をすることのできる筋肉は、今、休んでいる筋肉だけである」
「力を集中するということは、身体各部の力を同時に出すことではなくて、その動きに最適の順序にしたがって出してゆくことである」
「ある一瞬に働くべき筋肉の数が少なすぎることによる誤りはきわめて稀で、誤りの多くは、ある一瞬に働いてしまう筋肉の数が多過ぎることによって起こる」
「筋肉は、主として骨格の配列の形を変化させ、その変化のさせ方によって、エネルギーの伝わり方・流れ方の性質を決定する。筋肉は、からだの重さを動きのエネルギーに変換して利用できるものにする役割をになうものである。主エネルギーはからだの重さであり、この重さが地球との作用・反作用の関係によって、動きのエネルギーを生みだすのである。骨格の形の変化を運動と考えるのではなく、このエネルギーをどのようにからだで受容・伝送・処理・反応するかを、からだの動きと考えるのである。骨格の形の変化は動きのひとつの現れにすぎない」
「ぼくらは「姿勢」といわれると、学校時代のあの背をピンと張った、「静止の姿勢」を想像してしまうけれど、姿勢とは身体全体で環境とリンクする、知覚の器官を多重にとりこんだ関係のネットワークなのである。
(中略)
このような多くの要素が完全にリンクした、全身のネットワークのやっている止むことのない調整のことを、ベルンシュタインは「協調(コーディネーション)」と呼んだ」
「人間の動きは、もともとこのようなイメージによってしか動くことのできないもので、常識的な合理の世界における意識の指令によって動かされるものではない」
解剖学の知識は、イメージに説得力を加えるための方便なのだと思います。あるいは、イメージを安全で使いやすいものにするための工夫といってもいいでしょう。
「この最も重要な働きをもつイメージは観念的なものではなく、からだの実感によるものであるから、前もって綿密につくり上げておいて、その後で動くということではなく、何回も動くことの中で、累次創造されてゆくより他はない、というところに難しさがある」
また、野口三千三は、はっきりと言っています。「ひとつひとつの筋肉を意識的に動かせることが、人間にとって大切なことだと思っていない」と。
大成拳の練習に関しては、「まず站椿功から始まる」とあり、「ゆっくりと手を動かす練習」があり、「歩き方を練習」する方法があり、「二人で腕を触れあわせて反応の練習をする推手」という方法がある、と書かれています。
さらに、先を読んでみると、「まず、拮抗する筋肉が働かないよう、ただ立つだけの練習をする」とあり、「次に、必要な筋肉にだけ力を入れる練習をする」とあります。
つまり、入門段階では「ただ立つだけ」の練習を行い、次に立った姿勢で感覚を練る練習があり、さらに、手を動かす練習や推手を行うと書かれているわけです。
【効果的なストレッチのために】
1.ストレッチ状態を保持する
ストレッチした状態を10〜20秒キープしてみましょう。筋肉に弛緩するための時間を与えるのです。息をゆっくり吐いてみましょう。
2.ゆっくり戻す
ストレッチした状態を戻す時には、ゆっくりと筋肉の緊張を解いていきます。バネが縮むように急激に戻してはいけません。
3.反動を利用しない
反動をつけたり、急激に伸ばしたりすると、伸長反射という反応によって筋肉は収縮します。これでは効果がありません。時間を無駄にします。
ウォーミングアップのためのストレッチングと関節の可動域を拡大するためのストレッチングは別物と考えたほうがよいと思います。
自分にとって一番いい動きを選ぶことが「うまくなる」ということだとすれば、選択肢を増やすという戦略が重要になります。より多くの選択肢から選ぶことができるほうが、「上達する」可能性が大きいことになるからです。選択肢を増やすとはつまり、動き方のパターンを増やすこと、1つの動きについて複数のやり方を知るということです。選択肢を増やす、これはフェルデンクライスメソッドの考え方です。
変化を起こすために、何ができるでしょうか。料理にたとえて言うならば、レシピ(練習方法)を変えるやり方と素材(自分のからだ)を変えるやり方とに分類できます。
[レシピを変える方法の例]
・同じジャンルの別の種目を練習する・別のジャンルの種目を練習する・歩幅を変える、腰の高さを変える、動く速さを変える など
[素材を変える方法の例]
・使用する道具を替える・ストレッチ・ヨーガ・野口体操・武術基本功 など
“同じレシピを使えば、同じパンができる”という言葉は、同じ練習を繰り返していては進歩しない、という意味で使われているのではありません。むしろ、その逆なのです。おいしいパンを作るためのレシピを変えてしまうと、おいしいパンは作れなくなる、という意味で使われています。
筋紡錘の伸長は伸長反射、つまり伸長された筋肉を収縮させる反射を引き起こします。伸長反射は姿勢を維持するために重要な働きをしています。
腱紡錘が引き伸ばされると、筋肉を弛緩させるような反射(自己抑制)を引き起こします。こちらは、筋肉が過度に収縮して骨から離れてしまわないようにするためです。
これらの反射は同時には起こりません。腱紡錘のほうが閾値がずっと高いため、日常生活中の動作では、自己抑制を発生させるほどの筋肉の過緊張が発生しないからです。
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ジャンプ動作では、しゃがみ込む動作でふくらはぎの筋肉(ヒラメ筋)が引き伸ばされます。このとき、筋肉が収縮して引き伸ばされることに耐えようとするため、両端の腱が伸ばされて弾性エネルギーとして力を蓄えます(このタイミングでは筋肉が緩まないことが重要です。筋肉が緩んでしまうと腱に力を溜めることができません)。
そして、しゃがみ込みから跳び上がる瞬間、筋肉の収縮力に加えて、腱の弾性エネルギーが解放されることで全体として大きな力を得ることができます(このタイミングでは腱の弾性エネルギーが消えないうちに切り返しの動作に入ることが重要です。伸ばされた腱が縮み始めるときに筋肉が緩んでしまうと腱の弾性が利用できません)。
このような動作をSSC(Stretch
Shortening
Cycle、ストレッチ・ショートニング・サイクル)と呼びます。SSCの長所はもうひとつあります。
筋肉が力を出し始めてから最大の筋力を発揮するまでには、わずかですが時間がかかります。力が必要な瞬間から力を出し始めたのでは、最大筋力に達する前に動作が終わってしまうかもしれません。
SSCでは反動動作の段階ですでに筋肉が収縮を始めていますから、主動作で最大筋力を出力することが可能になります。
SSCは予備動作で筋肉を強制的に伸長させるところがミソです。では、強制伸長が大きければ大きいほどよいかというと、そうではありません。その引き伸ばす力に筋肉が耐えられなければ、SSCが成立しないからです。 |
*** 21-30 ***
「静的な柔軟運動をすると、とてもからだが柔らかい人でも、スポーツをすると逆に動きが硬くぎこちない人を多く見かけます。その動作に慣れていないという原因も一つの要素ですが、前にも述べた関節まわりの筋力や関節支持力が十分でないために、動作の中で関節可動域を最大限に活用できないという問題が発生するのです。」
ほとんど意識しないで作り笑いを続けたり、仮面みたいに「良い顔」を作りあげたりしていると、ある種の「硬さ」が首へと波及し、首の硬さが背中へと波及しということになって行きます。
肩や腕や脚部の緊張だけでなく、首から上の部分の緊張にも意識を向けてみましょう。
「(漢)字を書けない人間が文章を書こうとしてどうなる」
あなたが続けたい競技種目や運動について、基本がどこにあるのかを研究してください。
「たとえば腕を水平に差し上げ、音がしたら指先でボタンを押すというような簡単な課題を、立っている者に与え、全身の広い部位の筋活動をモニターする。すると、信号が鳴って、肩−腕−手の筋がボタンを押す活動をしはじめる前に、ボタン押しに使用されるそれら以外の身体の広範な部分、それも腕からはかなり遠い両脚の大腿などの筋が活動していることが示される。活動しているのは、腕の活動によって起こる姿勢の不安定性を補償する部位である。この予期的な筋活動を、行っている者が気づくことはまずない」
「姿勢補償(postual
compensation)」
私たちがうすうす勘づいているように、姿勢と運動は同義のことなのです。「姿勢の変化と姿勢の持続が同時にあるもの、それが運動なのである」
また、重力だけではなく、視覚も姿勢(運動)に影響を与えます。太極拳の稽古では、下を見ないように、遠くを見るようにと注意しますが、おそらく他の武術や踊りでも同じようなことがあるでしょう。「立ちながら特定の物を見ることを要求されるような条件では、頭部の揺れ幅がより少なくなることが知られている。
身体の特定の部位を動かないようにすることは、それ以外のすべての部位を動員することになるのです。一見動いている部位が少ないような動き(太極拳、古武術、その他)が意外に難しく、習得が困難なのは、こうしたことに原因があるのでしょう。
「能動筋力とは、自分のほうから力の強さを意識的に決めて使う場合で、通常は力のイメージをもちながら発揮される筋力である。これに対し受動筋力とは、外部からの力に応じて力が自然に現れてくる場合で、通常は形のイメージをもちながら発揮される筋力である」
おそらく「力を抜け」と言う場合、その「力」は能動筋力を指しています。逆に「力が足りない」と言う場合、その「力」は受動筋力を指しています。
「一般に、手や足の末端部に力を入れると、それより中枢に近い、肘や腰の関節は柔らかく滑らかな動きがしにくくなる」
「「グリップをしっかりとする」とは、「グリップをしっかりとした形で握り、その形を崩さないようにスイングする」ことになる。このように、形のイメージでグリップをすると、受動筋力的な制御の働きで、柔らかくしっかりとしたグリップが可能となる」
太極拳においては、套路(とうろ、単練)と推手(すいしゅ、対練)は車軸の両輪であると言われます。套路では重力に対応する受動筋力の感覚を、推手ではそれに加えて相手の力に対応する受動筋力の感覚を学ぶのではないでしょうか。
「直列の連結系では、個々の力のうちもっとも小さい力の要素が全体の出力を制約することになる」では、脚力を充分に発揮するためには、足首を鍛えるしかないのでしょうか。
「つまり、ある関節に近いところを力の作用線が通るようにすると、その関節は力を出さなくてもすむような状態になるので、その関節は全体の力の強さの制約条件にならない」
手で相手を押すような動作で言えば、手のひらの上の方で押すよりも、掌根(しょうこん=手のひら下部の肉厚の部分)で押した方が、手首の力を使わないですみます。一般に、スポーツや武術では、手首や足首といった力の弱い関節を力の「制約条件」としないで、力の「伝達要素」にするような工夫をしているはずです。
「初心者が力が出ないというときには、図8(a)のように無駄な力を発揮しているところがたくさんあって、直列連結系の筋力要素が多くなっているために、弱い筋力要素がたくさん生じ、その結果として、強い力がでなくなっているということが多い。運動の上手な人は、図8(b)のように無駄なところの力を除いて、筋放電が出る筋力要素が極力少なくなる姿勢や動きを工夫することによって、強い部分の筋力を発揮できるようにしていると考えられる」上の本文で説明していることは、力の出力に関する空間的な側面です。実際には、時間的な側面についても考える必要があります。筋肉が最大の力を発揮するまでには、時間がかかります。力を必要とする瞬間よりも少し前から、筋肉は力を出し始めていないと間に合いません。また、いつまでも力を出し続けていると、逆に次の動作の妨げになってしまうかもしれません。
ただ手を動かしているだけに思えた動作が、背中や首、脚部にまで影響を与えること(また同時に、手のほうが影響を受けていること)を知るようになります。
「(レッスンの動作は)バランスを保てる範囲内での小さな変動でなければなりません。つまり、バランスを崩すほどの動作であっては効果的とはいえないのです。さらに、ゆっくり行うと、動作に伴う感覚が豊かに得られるので、運動神経系の再調整が可能となります。ところが、変化というものがあまりに速いと、再調整する余裕がなく、今までの習慣の再現に陥ってしまうのです」
四つんばいになったときに日が当たる背中が陽、かげになるお腹が陰となります。
「動きはバランスが崩れないと始まらない。しかし、バランスが取れなければ、動きは成り立たない」
表面感覚(皮膚感覚)と深部感覚を合わせて体性感覚というとあります。表面感覚には触覚、圧覚、温覚、冷覚、痛覚があり、深部感覚には運動感覚、深部痛があります。「深部感覚(Deep
sansation)」は、筋肉の中にある筋紡錘(Muscle Spindle) や腱の中にある腱紡錘(Tendon Spindle)
という張力を検知する受容器(器官)から伝えられる情報です。それら以外、パチーニ小体やルフィニ小体という皮膚にある受容器も重要です。
「その中でも姿勢の変化を如実に反映するのが足裏の面圧分布である。筋活動は必ずテコの力を発生して物理的な変化を生み出す。それは重心を支える力の変化として足裏に到達する。すなわち姿勢の良否は必ず足裏と床との接点に現れる」
今までの日常生活や練習の中で身につけた動き(テコの連鎖)を変えるには、ゆっくりと動くことが必要です。動作が速いと既存のパターンが自動的に起動されます。ゆっくりと精確な動作を繰り返すことは、太極拳に限らず大切な練習だと思います。では、「ゆっくり」とはどの程度のスピードなのでしょうか。足の裏の感覚が生かせるスピード、これが目安にできるのではないでしょうか。
「人の顔がそれぞれ違うように、手足のバランスも人それぞれである。それゆえ、同じように楊名時太極拳を学んでいても人によりその型は千差万別であり、それが自然の法則でもある。(中略) 腕の長さが変われば、手の位置、高さ、動作のタイミング、すべてが変わらなければならない。そうでなければどこかに無理がくる。大切なのは外面でなく内面である。型(身)を学ぶ難しさがここにある。それを克服する方法は「理」と「道」を知ることである」
「トレーニングを積んだ運動選手のランニングフォームは、いつ見ても同種のコインの絵柄のように一緒だ。ただし、同じフォームになるのは、脳が筋へまったく同一の運動インパルスを届ける能力をもっているからではなく、感覚調整が間違いなく働いているからに他ならない」
「毎朝ネクタイを結ぶ人ならご承知のことと思うが、いつも鏡なしにネクタイを結んでいる場合、鏡を見ながらネクタイを結ぼうとすると非常に煩わしく感じる。なぜなら、練習を積んだ動作は筋−関節感覚により調整されているのだが、そこに強くしかもつじつまの合わない視覚制御が干渉すると、練習を積んだスキルを崩壊させてしまうからである」
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「子供の頃に習い覚えた動き方のなかには失敗作もある。それは、転んだりつまずいたりというような、どんな人もいずれは克服できる明らかなエラーではなく、成功の輝きの陰で目立たなくなっているエラー、つまり不完全なバランスの類である。私たちはこの種のエラーを修正するために、筋肉を緊張させるなどの努力をする。その結果、最初のエラーとそのエラーの修正に必然的にともなうエラーを合体させて、その先の人生をずっとそのやり方で続けていくのだ」
水分はこまめに何回かに分けて摂取したほうがよいのです。「私たちが渇きを感じたときには、すでにかなりの水分が失われています。だから、その前に飲む必要があります」暑い時期には、練習前から水分を補給するようにしましょう。
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「9月の後、10月、12月と、1999年の3月に二回、合計5回靴下はきを観察しました。各回で片足にはくまでに要した時間は、それぞれ、約15分、15分、7分、5分、2分でした。時間は確実に短縮しました」
佐々木正人およびその共同研究者はK氏の靴下はきを詳細に記述しました。記述方法の詳細は省きますが、例えば、健常者が15回前後の行為を費やして靴下をはくとすると、同じカウントの方法でK氏の場合は690もの行為を積み重ねてやっと靴下がはけた(9月の観察)のです。
2回目の観察では967回、3回目以降は585回、175回、217回でした。
「K氏の数百の長い行為系列を4種の下位の行為、(a)転倒しないために、あるいは他のことを遂行するための体幹位置の調整 (b)脚を手元に持ってくる (c)靴下につま先を入れる (d)靴下を引き上げる に分けて見ました」
数百もの行為を(a)〜(d)の4種の行為に分類し、時間軸上に4行に分けて配置し、4種の行為の出現の順序や重なりを分析しました。
ようやく、K氏の靴下はきの変化の様子が見えました。
9月は、「終始4つの行為が同時かつ一体に」進行していました。
10月には、始めに体幹部の位置を調整するだけの時間があり、「靴下の操作は体幹姿勢や脚位置の調整と交互にリズミックに交代して」行われています。
12月は、4種類の行為をそれぞれ独立に段階的に行っていました。
3月になると、「再び9月のような4種の行為が混合する動きが」現れてきました。特に3月の2回目の観察では、体幹姿勢の調整と脚位置の変更、靴下の操作が同時に行われていました。
9月の段階では、K氏の靴下はきはいろいろな要素が渾然一体となった動きでした。上記4種類の行為をいっぺんに行おうとしているような動き方でした。
10月、12月は4種類の行為が別々に探られるようになりました。体幹部を安定させる、脚の位置をずらす、靴下を操作することがひとつひとつ確実に実行されるようになりました。
そして3月、再び4種類の行為が同時進行するようになります。
9月と3月の「同時進行」は、その内容がまったく異なります。9月には15分かかっていたことが、3月には2分でできたのです。
この差がどこから生じたかといえば、10月、12月の4種類の行為を個別に練習していた段階にあるのは間違いないでしょう。 |
K氏の10月、12月の段階を、我々も経過する必要があるのです。あえて慎重に言うならば、必要があるは言い過ぎかもしれませんが、学習時間を短縮するには有効な段階であるとは言えるでしょう。
スポーツでも武術でも、下位レベルの行為の練習、下位レベルの行為を統合する練習があります。自分が今練習しているのはどちらなのか、意識しておくほうがいいでしょう。
「上肢の運動は「拳が流星の如く」の要求に達するため、必ず肩をゆるめ肘を活かし、肩、肘、手首などの関節が運動中にゆるみと締め(活動)の両方ができるようにしておく」
パウエルは走るときに拳を開き、指を伸ばしています。拳を開いていたほうが肩がスムーズに動かせるのです。
「各種の歩法は運動中には軽くて速いばかりではなく、膠(引用者注:にかわ=接着剤)が地上に着くように安定し、足を動かさず、かかとを上げないという要求がある。上肢と胴体の動きに影響されず、かえって上肢と胴体の動きに必要な安定条件を提供する」
「鏡を見てカッコよく決まってるかどうかというのは、あまり関係ないことなんです。どうしても鏡を見て確認したくなるんですけど、見たら意識がそっちにいってしまう。結局、いい蹴りとかいい突きって、自分の身体で感じるものなんですよね。そこでなぜ蹴るのか、どうしてそういう蹴りになるのかを理解できていれば、身体も気持ちよく動かすことができるわけで」
「すべての動きにおいて、視覚に頼るというやり方は、外的なものに頼ったり、意識的な筋肉の緊張努力に頼る傾向を生み、外側の形だけを整えようとする姿勢になってしまいやすい。このことは、人間の在り方の根本にかかわる恐ろしい力をもっていることを銘記すべきである」
鏡でもビデオでも、自分を客観視する、身体で感じていることを意識しながら見るということを忘れなければ、有効に利用できるでしょう。
「自転車も一度乗れるようになったら、あとはなにも考えないでも漕げるじゃないですか。頭で考えなくても、身体が勝手に動いてくれる、そこが大事で、身体と正直に付き合っていくとちゃんと回路ができてくるんですよ」
「感覚とは自分の「外界に向かっているもの」という強い先入観ができている。私は感覚の本質とするものは、むしろ自分の内側に向かうもの、すなわち内界の情報を受容することにあると思う」
「筋肉の働きにとって、大事なことは、量的な力を増すことではないんです。微調整する感覚なんです。質的な違いの分かる感覚が働く筋肉なんです。筋肉は感覚器として、充分働いたときに、初めていい運動器になるんです」
棒を所定の位置で持ち、棒の先を一定の方向に向けることで、自ずと両手の位置が定まります。
棒の動く軌跡をイメージすることで、その軌跡を実現するのに必要な手および身体(ひいては脚)の動きが明確になります。実際の棒の軌跡がイメージしていた軌跡と異なる場合は、手の使い方、身体の動き方、脚の捌(さば)き方など、どこかにその原因があります。実際の棒の軌跡をイメージに近づけていくことで、動き方を修正することができます。
最近の新聞記事で「道具」は「道」を「具(そな)」えるだとありました。この「そなえる」を「資質を備える」の「そなえる」だと解釈すると、「道具」自体がその使い方をもっている、あるいは逆に、自らの使い方を示す物が「道具」であるというように考えられます。
「道具」のこのような性質を「アフォーダンス」と呼ぶのです。
感想文から
亀戸図書委員会で勉強させていただいた。
(亀戸図書委員会への賞賛は、例えば、知識を切り出す)
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前に進む場合、まず、(足首の力を抜き)踵骨の働きによって重心を前方に移動させる。重心が移動しきった時点で股関節が前方に位置するために大腿骨が引っ張られ、膝関節が引っ張られ、脛骨が引っ張られ、距骨が引っ張られるので、踵が上がってくる。拇趾球で蹴るのではない。
“センター”は、背骨の前寄りの部分を通り、大腰筋の間を通り、股の中央よりもやや後ろ、肛門より少し前(会陰)から腿のやや後ろ側の間を通って、膝の裏に抜けていく。
心身をリラックスさせたければ、自分の身体の「重さ」を意識し、「重さの感覚(重力感覚)」を養成する。重力と調和した身体(養体)をつくるためのポイントは、「沈肩墜肘」「含胸抜背」「鬆腰緩腹(しょうようかんぷく)」「円‘月当’(えんとう)」である。
重心から波及する力である「中心力」と伸筋による「伸長運動」の力の流れは、どちらも身体の中心から末端に向かって伸びるように連動しながら伝わる。一方、屈筋による「屈曲運動」の力の流れは、身体の末端から中心に向かって縮むように伝わる。
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人間の関節は第3種てこ(=力点が支点と作用点の間にあるてこ)である。その特徴は、力点での小さな動きが末端部の作用点では大きな動きになることであり、作用点での小さな抵抗に対して大きな力が必要となることである。
第3種てこは、作用点で大きな力を生み出すことには不向きで、作用点で大きな動きを生み出すことに向いている。
自然の法則と調和した力を体得するためには、「力=筋力」から「力=重力」への発想の転換が必要である。重力によって生じる身体の「重み」(圧力)を力とする。
「筋収縮」が大きいと重力への抵抗が増し、「重み」は減少する。一方、「筋収縮」が小さいと重力と調和し、「重み」が増す。
人体=流体とイメージし、筋肉は感覚器官(=「重み」を伝える導線のようなもの)と考える。
(引用者注:作用点で大きな力を生み出すことに向いているのは、第2種てこ=作用点が支点と力点の間にあるてこである。ちなみに、第1種てこは、支点が作用点と力点の間にある) |
心は思考、感情などさまざまな「思い」をつくりだす。心の緊張を心で解くことは難しい。
「身体感覚」が鋭敏になると「思い」が薄まり、「思い」が強まると逆に「身体感覚」が鈍化してしまうという関係がある。「身体感覚」に意識が集中すれば、その間は心の囚われが自分の意識から外れてしまう。
「重力感覚」が身体に定着すればするほど「身体感覚」に意識を集中しやすくなり、それに伴って心の緊張も着実に薄まってゆく。
「肘関節(肘)と橈尺関節、橈尺関節と手関節(手首)はそれぞれ独立した関節であることを頭に入れておく必要があります。」
これは、腕(肘)の屈曲と伸展は肘関節により、前腕の回内と回外は橈尺関節によるということである。
また、上腕二頭筋といえば屈筋の代表選手だが、肘の屈曲以外に、(肘関節が屈曲している状態で)前腕を回外させる強力な筋肉でもある。上腕二頭筋は、肘と肩の2つの関節に関与しており、橈尺関節も加えて三関節筋と呼ばれることがある。
膝関節では、「靱帯は膝関節に静的安定性をもたらし、大腿四頭筋とハムストリングの収縮は動的安定性をもたらします。」
「脊柱の動きのほとんどは頚椎と腰椎で起こります。もちろん胸椎でも動きは生じますが、頚椎や腰椎に比べれば小さなものにすぎません。」
「バランスを崩してそのバランスの崩れを修復する。不安定と安定という二面性が、左右二軸の移し替えによる二軸運動の本質といえます。不安定の中の安定を求めるのが、スポーツにおける巧みな動作といえるかもしれません」
絶対筋力は男女の区別なく、年齢にかかわらず、約6kg/cm2で一定である。
また、筋力発揮時に参加する筋繊維の数が多いと力が強くなる。
筋肉は「速い速度を出しているときは力は小さく、大きな力を発揮しているときは速度は遅くなる」という性質をもつ。
筋力トレーニングでは、スピードアップを目指すのか、もっと強い力を出したいのか、パワー(=力×速度)の向上を図りたいのか、目的に応じたトレーニングを行うことで成果が得られる。
個々の筋肉は個々の筋肉としてばらばらに動くのではなく、脳神経系とのつながりで統合的に動く。競技力向上のための筋力トレーニングでは、実際の動きや技術を考慮に入れながら、複数関節、複数筋の連動パターンにおける出力を鍛えることが課題となる。
「力を入れるのではなく、力を動かすんです」(清水宏保、スピードスケート選手)
*** 11-20
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人間の動きに的を絞って考えるのであれば、「武術」も「スポーツ」も等しく方法論のひとつとして参考にすればいいと思う。
「スタビライゼーションは、重力を実感し(Feel
the Gravity)、体重を支え(Hold the Body Weight)、バランスを保つ(Keep the Body
Balance)という三つの明確なコンセプトをもつ手軽なエクササイズと考えて下さい」
スタビライゼーション・エクササイズの目的は、「動作中の頭や体幹、四肢の位置や状態を素早く把握して、神経と筋肉の協調性機能で姿勢や動作を調節し、バランスをうまく維持・回復する能力を養う」ことである。そこで期待できる効果は、関節支持力の向上、関節可動性の向上、関節可動域の拡大、重心や軸の把握と安定性の向上などだが、なかでも動的柔軟性の向上が期待できるという点に注目すべきではないかと思う。「静的な柔軟運動をすると、とてもからだが柔らかい人でも、スポーツをすると逆に動きが固くぎこちない人を多く見かけます。その動作に慣れていないという原因も一つの要素ですが、(中略)関節まわりの筋力や関節支持力が十分でないために、動作の中で関節可動域を最大限に活用できないという問題が発生するのです」
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「初動負荷」
著者が繰り返し言う言葉(ポイント1)「人間の身体の動きは、身体の中心部(体幹部)で生まれた力を末端に伝えていく、その伝わった力をせき止めることなくうまく使い、反射的・加速的に末端を動かすことで、末端部の道具としての作用が高まる」ここで、「道具」というのは、「腕は肩から先、下半身であれば膝を含めた膝から下部」を指している。
「トレーニングでは、身体根幹部の筋群を十分伸長させることが大切です。身体根幹部の筋群で力を発揮、その筋力から出た力をうまく使って手足などの末端部を動かせばよいのです。末端部に位置する腕や膝、ふくらはぎの筋肉はリラックスが必要で、できる限り余計な力を発揮させたくありません。この動作形態が初動負荷理論の特徴です。末端部の筋肉が大きく出力すれば、せっかく身体根幹部で作りだした力が生かされず、むしろ動きが硬くなり、加速度が制限されます。」
反射的に末端を動かす(ポイント2)「主働筋の「弛緩−伸長−短縮」の一連動作を促進させる」すなわち、「最初は筋肉を弛緩させた状態とする。そこに筋肉を伸ばすような負荷がかかると筋肉は伸長性収縮による力を出していくことになる。張力が最大となったところで負荷を減少させていくと、筋肉は短縮性収縮に切り換わり、負荷の減少が適切であれば収縮速度は加速し、パワーの増大が期待できる」
走るときのスタート姿勢やゴルフの動作姿勢で重要となるのは、、、(ポイント3)
「この3つの関節(引用者注:股・膝・足首)が一直線に揃うポジションが、地面を自然に強く押して、地球から反作用の力をもらえるポジションです」
特にゴルフの項では、身体の捻りよりも重要なことだと解説している。
「骨盤の前傾ポジションと三関節ラインが直線的に揃うと、地面を押す力が強くなります。骨盤と三関節ラインでこの地面を押すという作業は、「捻る」という作業よりもはるかに大切で、大きな大きな力を楽に発揮してくれるのです」
著者が初動負荷理論の定義として提示する内容は、“ポイント2”である。すなわち、
『反射の起こるポジションへの身体変化及び、それに伴う重心位置変化等を利用し、主働筋の「弛緩−伸長−短縮」の一連動作を促進させると共に、その拮抗筋ならびに拮抗的に作用する筋の共縮を防ぎながら行う運動』
この定義から、小山理論では「負荷」の量だけが主題なのではなく、別の要素をいくつか含んでいることがわかる。例えば、負荷を与える方向は主働筋を伸ばす方向なので、目的の運動とは異なる方向に負荷を与えることになる。これだけの内容を表すのに「初動負荷」という4文字だけでは、それこそ荷が重いのではないだろうか。
一方、この定義には、“ポイント1”の内容は含まれていない。ということは、小山理論のすべてが「初動負荷」という語で表されているのではない、ということになる。
SSC(Stretch
Shortening
Cycle)
これは生理学用語。筋が内的または外的な力によって引き伸ばされたときに反射的に生じる、通常の収縮を超えた筋収縮のこと(およびその一連の作用)を言う。急に伸ばされた筋の断裂を避けるための働きと思われる。
私がこの用語を知ったのは『ピッチングの正体』(手塚一志、ベースボール・マガジン社)という本。投球動作のなかに「ストレッチ・ショートニング・サイクル」が取り入れられている。
小山理論の“ポイント2”はまさにこのSSCを利用することだと思うのだが、明示的には説明されていない。 |
「よい直立姿勢とは、最小限の筋肉活動で、どの方向へでも望むがままに、同じようにたやすくからだを動かせる姿勢である」(註)
いつでもどの方向にでも動けるということは、筋肉がいつでも動ける状態、筋肉が緊張(収縮)していない状態になっているということである。「悪い姿勢では、筋肉が骨の役目の一部を努めている。姿勢をよくするためには、重力にたいする神経系の反応をなにが歪めているかを発見することが重要である。生きているかぎり、全身体機構のあらゆる部分が、重力にたいして適合しなくてはならないからである」
「どんなことでもうまくやれた場合には、むずかしくは見えない。むずかしく見える動きは、正しく行われていないからだと言ってもさしつかえないだろう」
「以下のレッスンで意図しているのは、能力を改善すること、すなわち、可能性の限界をひろげ、不可能を可能に、困難をたやすいものに、たやすいものを楽しいものに変えることである。なぜなら、たやすくて楽しい活動のみが、人間の日常生活の一部となり、いかなる場合にも役立つものとなるからである。実行するのが苦しい行動、そのために自分の内部の抵抗を無理矢理克服しなければならないような行動は、自分の日常生活の一部とは決してならない。」
「ほんの少しの小さな力によってバランスが崩れてしまう状態は、極めて頼りないように思われる。しかし、この状態はほんの少しの小さな力によってバランスを保つことができる状態でもある。これが生きものの安定状態である」
「人間は力を抜くことよりも力を入れることのほうが簡単にできてしまうので、方法に対して冷静ではなく「やる気」だけがあふれている場合、力任せ一辺倒になりやすい。そしてその力への依存が動作から滑らかさと余裕を奪い、その事態に戦うべくさらに力を入れるという悪循環を招きやすい」
胴体(体幹部)の感覚が重要なことを理解していても、胴体の情報を活用することは難しい。手から入ってくる情報をもっと抑えなければいけないのかもしれない。極端に言うと、手は動かさないでおくような方法も試してみるべきかもしれない。
「力が集中するということは、身体各部の力を同時に出すことではなく、その動きに最適な順序にしたがって出していくことである」
「ある一瞬に働くべき筋肉の数が少なすぎることによる誤りはきわめて稀で、誤りの多くは、ある一瞬に働いてしまう筋肉の数が多過ぎることによって起こる」
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スポーツ動作を負荷をかけた状態で行うことには問題がある。筋肥大についてはウエイトトレーニングほどの効果がない。筋トレとスキルトレーニングを「無理矢理に合体させる」のは決して得策ではない。
「ウエイトトレーニングとスキルトレーニングを混ぜて考えてはいけない」という一方で、両者を行う時期をはっきり分けても効果は上がらないのである。
SSC(Stretch
Shortening
Cycle、ストレッチ・ショートニング・サイクル)に関する説明かもしれない。垂直跳びで高く飛ぼうとするときに、いったん軽くしゃがむ。この「しゃがむ」動作の意味が解説されている。「反動を使う」とは具体的にはどういうことなのか。本書で知ることができる。「腱というバネを上手に使えるかどうかがスポーツパフォーマンスで大きな力・大きな速度を出すためのキーポイントに」なる。身体の動きについて考えるときには、骨と筋肉に加えて、腱についても考えることが重要となってきているようだ。
「形が同じように見える運動でも、それを呼吸のどの時期(息を吐くとき−呼息、息を吐いた後、吸う前−止息、息を吸うとき−吸息、息を吸った後、吐く前−保息)で行うか、どんなふうに息するかによって、非常に自覚的な感じが違うものである。そしてその動きによる仕事の質や量も大きく変化し、その動きの表す感じも違っているのである」
例えば「腕を上げるとき息を吸う。下ろすとき吐く」ということを情報として記憶する必要はない。自分で腕を上げ下げすれば、どちらで息を吸い、息を吐くかわかるはずであり、そのような実感が呼吸を考えること、呼吸と動きの関連を探る第一歩となる。
「伝統的運動研究は「姿勢」を「自動化した、重力に抗する伸張反射の総和」と定義してきた。しかし姿勢は重力という唯一の力への応答ではない。いま私は椅子に腰掛けてキーボードを叩いている。身体は両足が着いている床だけではなく、椅子の背、椅子の座面、手首が触れている机の端、手掌が置かれているキーボードの端など、身体各部に対し反作用力を与える多数の力の場に同時に置かれている。このような多方向から全身に及ぶ力は常にある。もちろん移動する場合には加速度もそれに加わる。結局、姿勢は多数の力が競合する場で刻々と組織化されることになる」
「チキンの足をつまんで引っ張ったとき、どこから足がはずれただろうか。股関節ではなく、肋骨の真下、みぞおち(背骨がいちばん飛び出たところの前面)のあたりではずれたはずだ。言い換えれば、大腰筋のところから足が離れるのである」歩くときに、股関節から足を振るのではなく、みぞおちから振るように意識してみる。簡単なことではないが、チャレンジする価値はあると思う。
同じように腕の付け根を筋肉で考えると、背骨と上腕骨の根本近くを繋ぐ、やはり大きな筋肉がある。広背筋である。手も足も身体の中心から伸びていると考えることで、次の発見に結びつくかもしれない。
目や耳(外受容感覚)だけでなく、筋肉や腱(自己受容感覚)などからの情報によって、「動作を連続的に調整する」プロセスこそが運動なのである。
「巧みさが必要になるかどうかは動作の種類によって決まるのではなく、動作を取り囲む条件によって決まる」
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「ジムで背中を鍛えるトレーニングをしたことがあるなら、それはこれらの表層の筋肉を鍛えていたということです。(中略)(これらの)エクササイズは、もちろん、背中を鍛えるためのものですが、すべて腕で行なうものです。言い換えると、腕を動かすことで背中を鍛えているのです」これら表層の筋肉は、「背中にはあるものの」機能的には腕の筋肉である。同じことが胸の筋肉にも言える。
わたしたちは、姿勢を正そう(直そう、変えよう)とするときに、これら表層の筋肉を緊張させてはいないだろうか。腕を動かす筋肉を。
「うまくやろうと一所懸命になりますと、自分自身をだまして首の緊張など増えていないと思いこみがちになるものです。あなたの首が楽に動きやすくなることが、あなたの実験の指導原理です。これがほんのちょっとでもできないうちは一歩も先へいけません」
「ヒトの身体運動は、骨−関節がもつ構造上の不安定、柔らかい筋の性質に由来する不安定、二つ以上の筋の拮抗する群の使用に由来する不安定、これらのすべてを基礎にしている。それらの不安定を掛け合わせた「高次の不安定」がヒトの身体である」ヒトの歩行運動とは、「重力がもたらしている転倒から派生した動き」であり、そこには静止の相がない。
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「ボクシングの力学」
1.
運動を起こさせようと思えば,慣性に打ち勝つだけの力がなければならない。
2.
力を伝える物体の質量が大きければ大きいだけ,そして,それが速く動いていれば動いているだけ,大きい力を伝える。
3. 主働筋を用いることが多ければ多いだけ,より多く力が得られる。
4.
運動に役立たない筋肉の使用が少なければ少ないだけ、エネルギーの消費は少ない。
5.
運動が連続的であればあるほど,多くの力が得られる。
6.
筋肉が十分に伸ばされれば,それだけ筋肉が出す力は大きくなる。
7.
筋肉の収縮が速ければ速いほど,「てこ」の端のスピードが大きくて,大きい力が生まれる。そして収縮のスピードが遅ければ遅いほど,エネルギーの必要量は少ない。
調整力を発達させ,運動を自由に行なう能力を向上させるには,筋肉の緊張を操作し,運動中の必要な瞬間に筋をリラックスさせ,運動に必要のない筋肉を参加させずに必要な筋肉だけを結集して,しかも運動終了と同時にこの筋肉をリラックスさせる能力,すなわち,随意に運動に参加する筋肉を自由に緊張から解緊させる能力を発達させることが大切である。
「効果的な姿勢は,テコの利用,打撃の方向,振り子運動,および慣性や運動量などの物理的原理に合った姿勢であるかどうかによって決まる。力を最も有効な方向にはたらかせることは,姿勢を完成させるための基本になるのである。「力は質量×加速度に等しい」という物理的原理は,ボクシングの場合には,基本姿勢を維持しながら,体重とスピードとタイミングを利用してパンチ力を加えなければならないということである」 |
*** 41-44 ***
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片脚で立ちながら、別の脚を上げても、両腕を大きく動かしても姿勢が崩れない。物理学の言葉を使うと、重心と床に接している支持点(足裏やつま先)が垂直を維持しているからである。もし、重心と支持点を結ぶ線が垂線から離れたら、直ちに調整を開始しなければならない。
「最初の角度が1度だと1秒後には約8度になり、最初の角度が4度だと1秒後の体は垂直から30度以上の角度になる。すなわち、最初の角度に8を掛けた角度が1秒後に体が傾いた角度になる」
この1度と4度という角度の差は「重心位置にすると2cm程度」だという。
バランスの崩れを回復させる方法は2つしかない。支持点(または支持面)を重心の真下に移動させるか、重心を支持面の上に移動させるかである。
「上半身をリラックスさせておけば、バランスから少しずれたときの感覚に敏感に対応することができ、目立たないように調節することができる」
バランスの崩れは比例的ではなく、加速度的に増大するので、ずれが小さいうちに調整するのが理想である。小さいずれを感知するためには、センサーが敏感でなければならない。ここで必要なセンサーとは三半規管だけでなく、筋肉の中にある筋紡錘も含まれる。
同時に、ずれを素早く修正するためには、必要な筋肉がすぐに働ける状態にあること、つまり余計な緊張がないことが必要となる。
筋肉をリラックスさせておくことは、バランスの崩れを検知することと調整することの両面で重要である。
人は自分のバランスが(生物学的に、生理学的に、人間工学的に)どのように維持されるかを知らない。ただ、人間が本来有するバランス維持の仕組みが機能するような条件を整えることで、バランス能力を向上させることができる。 |
バレエのメソッド(教育体系)には学ぶべき点がいろいろあると思う。
基本中の基本、5つのポジション(足の)はきっと「深い」のだろうなあ、と。
体操選手の身体は筋肉の鎧(よろい)を身につけているように見えるが、この選手は筋肉は重いからいらないと語っている。佐々木 すごい筋肉ですが、マッチョではない。
鹿島 筋肉は重いですから、邪魔になるようなものはつけません。体操の練習をすれば、それがウエートトレーニングにもなりますから。
この部分を読んで思い出したことがある。先日、プロ野球の清原和博選手が引退を表明した。その清原選手について、私の知り合いがこんな意見を口にした。「清原は高卒ルーキーの頃からホームランを打っていた。筋肉なんか付けなくてもホームランが打てたのに、筋トレなんかするからかえって打てなくなった」と。
オペラ歌手の伝記を分析していた研究者が、その歌手が「声を歯の裏に置く」と言ったことについて、「これは1つのメタファーだけれども」と言う。著者はそれに対し、「学究的ないしは文字による記述の目から見たらば、メタファーということになるかも知れないが、それを発した主体にとってみると、事実そのものなのだ」と言う。
歌、踊り、スポーツ、武術、建築、製造業、芸術など、特定の身体能力を獲得した人たちが自身の「技術」について語る言葉、「それ」は彼らの実感なのだ。
そうした技術を受け継ごうとする者が「それ」をメタファーだと思っているうちは伝承はおぼつかない。「それ」を自身の内についに実感した者が伝承者なのである。
「型を取るということは、その型をなしているイメージを受け取る、あるいは自分の中で発見する、そのイメージをかもしだすからだを、自らのうちに発見することだということである」
著者はまっ暗な道場で射続けた。的に当たった矢は、友人がとってきて手渡してくれる。一歩でも動くと「世界が崩れてしまう」のだと著者は書いている。「足さえピタと決まれば、からだのバランスは精密におのれを知って、意識を超えた正確さで自ら働くものなのだ、ということについては私は信じるものを持っている」